2016/11/14

サンタプロジェクト~モザンビークに花を届けよう~

1年半ぶりの登場、妻です。

前回の記事にあったように、私は約5ヶ月間のモザン滞在を経て、
今日本でこの記事を書いています。

モザンで過ごした日々を思い起こしてみると、
今日は水が出る?電気は付く?ねずみは?ダニは?蚊はいない?と
毎日身体をかきむしりながら、子供が事故に遭わないよう、病気にならないよう、
ただただ生きることに必死でした。

それでも毎朝またがんばろうと思わせてくれたのは、
モザンビークの人々のたくましく生きる姿でした。

朝息子と散歩に出かけると、
「おーい彼女~元気か~い?子供も元気か~い?」と
ビルの上から、工事現場から、あちこちから大きな声で呼ばれます。
その愉快な声を聞いていると、元気のない日でも
「とっても元気よ~」とにこにこしながら答えてしまいます。
「やぁ可愛いプリンセス~♪」なんて言われた時は大笑いしてしまいました。

毎日「バナナ買って~」と家までやってくる女の子のソーニャ(夢)ちゃんは、
「パパとママは私が小さい頃亡くなってしまったから兄弟はいないの、
今はもらわれた家でバナナ売りをさせられてるの」と話してくれました。
学校にも十分に通えない彼女は言葉も不十分でしたが、
いつも満面の笑みで息子と遊んでくれました。

そして、どんなに心が折れそうになった時でも私にパワーをくれたのは、
モザンビークの母親たちの姿でした。
布一枚で前と後ろに子供を抱え、
さらに売り物を頭の上に乗せ、猛暑の中どこまでも歩き続ける芯の強さ。

彼女たちから感じるのは必死さではなく、本気で今を楽しむ力
本気で今を生きる力でした。
将来の不安、怒り、憎しみなどを感じさせず、
今の幸せを大切にしている彼女たちは、女性らしい魅力あふれる
輝きを放っていました。

前置きが長くなってしまいましたが、今回の滞在では、毎年日本の中学生が
送ってくれている文房具の寄贈に立ち会うことができたので紹介します

日本の子供たちがサンタプロジェクトと題して、使わなくなった文房具や
学校で作ったぬり絵を送ってくれました。

中学校から「今年も送り切れないほどたくさんの文房具が集まりました!」
という報告を聞き、日本の子供たちが現地の子供たちを思い浮かべ、選んだり、作ってくれた時間が嬉しく、その想いを届けるサンタ役になれて幸せな気持ちでいっぱいです。

今回は、6校の孤児院と識字センターへの寄贈が実現しました。

識字センターとは、何らかの事情により(内戦の影響や、貧困など
初等教育を受けられなかった人を対象に読み書きを教えている所で
机、椅子、トイレのない、青空教室のような場所で授業が行われていました。


識字センターにて

孤児院でのぬり絵の授業では、現地の子が日本のみんなに「ありがとう」と
日本語で一生懸命お礼の言葉を書いてくれました。

ぬり絵の授業
私はピアノでクラシックや
日本歌曲、中学校の校歌を演奏し紹介しました。

日本の歌を紹介

子供たちは、文房具のお礼に現地のダンスやソーラン節を披露してくれました。

文房具を見た瞬間、夢中で色を塗っている瞬間、ダンスを思いっきり楽しんでいる瞬間。
この国を選び、この国に生まれてきた子供たちは、どんな瞬間でも自分の花を咲かせることに全力で取り組んでいました

そんな子供たちと過ごせた時間は、あたたかく、優しさに満ちたものでした。

ぬり絵を夢中でする子どもたち

ソーラン節を披露してくれた子どもたち

私はこの5ヶ月のモザンビーク生活を、ちょっと早いクリスマスプレゼントをもらったように
感じています。
日々のありがとうの言葉や感謝の気持ち、小さな発見や喜び、そして、
痛みや痒みのない体でいられること、この世に生まれ生きていること。
そんな大切なプレゼントに気付くことができました。

憧れのサンタさんは、遠い、特別な存在ではなく、
一番身近に、一番自分の近くにいるのかもしれませんね。

今回は以上です。

2016/10/13

勇気ある撤退(2)

こんにちは。

前回の記事、僕の書き方が悪かったためか、
「え?モザンビーク撤退するの?」
とのコメントが友人からありました。

変なタイトルをつけたせいで、誤解を招いたようです。
ようし、今回は、タイトルに即した内容にするぞ。


前回の記事では、
モザンビークでの家族生活を中止し、妻子は日本へ戻る
という出来事の理由を書きました。

今回は、
この決断は、家族のあり方を発展させるための、前向きな決断
なんですよ〜ということを、書きます。

事実だけ取り上げて書くと、ネガティブな意味合いに映りますね。
でも、自信を持って言えます。今回の判断はグッド(ポルトガル語だと、ボン、ですね)でした。

まず、この判断が、
「モザンビークに家族3人で暮らした」経験の上でされたこと
がよかった。

経験してみてわかったこと、たくさんあります。
例えば下記のようなことが。

アジア人の子どもに対しても、現地人の対応が温かい
   → よく、お店の人から飴とかもらってました

妻と子どもだけで歩くと、警察は一切絡んでこない
   → 僕が一緒の時は、絡まれます

息子はモザンビークでも、元気に育つ
   → 滞在後半から、公園でも物怖じせず、自分から現地の子と遊ぶようになりました


前回マイナスのことばかり書いてしまいましたが、
プラスの要素もたくさんありました、今回のモザンビーク生活は。

いい・悪い両方を経験し、それについて夫婦間で意見を交わす中、
これから家族をどういう形にもっていくか、ということを考えました。

僕が学生時代お世話になった団体の代表の方も、カンボジア駐在なので、家族と離れて暮らしていました。
今、新しい家族生活のあり方にチャレンジ中のようです。

青木家第四章のチャレンジ - 七夕婚から週末婚へ

今はタイのバンコクに家族がいて、週末にカンボジアから通う生活とのこと。
真剣に家族と事業の両立を考え、行動に移している姿、見習っていきます。


そう、つまり

家族の形はそれぞれなんだから、自分たちに合った形を模索しよう
ってことです。

僕らのケースだと、通常
・夫(僕)も日本へ戻り、家族3人、日本で暮らす
・妻が夫を見限り、三行半(表現が古いか)

のコースをとるかもしれません。
でもそれは、「よく聞く」コースなだけで、自分たちにとって正解かは不明です。

夫が将来的に日本にも拠点を置き、モザンビークと日本を半々で過ごす。妻と子どもは普段日本で暮らし、休みなどを利用してモザンビークへ遊びに来る

どうでしょう、このコースは。
現状から考えると、あまり、というか全然現実味のない道です。

僕らはそこを目指してみます。
しばらく離れて暮らしますが、上記の状態を作り上げることを目標に、動き始めました。

なので、今回の
「妻子はモザンビークを去り、日本でしばらく暮らす」
というのは、家族のあり方を模索するための、ポジティブな決断です。

そう、撤退は撤退でも、次を見据えた動きなので、
今回タイトルを「勇気ある撤退」という表現にしました。
もっと上手くまとめてタイトル説明に持って行きたかったのですが、この程度が僕の文才です。

まだまだこれからの僕たちですが、前を見ることだけは忘れず、進んでいきます。

今回は以上です。


息子の2歳の誕生日に行った、モザンビーク島。また一緒に来れる日を、父は待つ






2016/10/12

勇気ある撤退(1)

こんにちは。

久しぶりの投稿です。

実は今、日本に帰ってきています。

「あ、モザンビークから撤退したんだな。」
と思われる可能性もありますが、まだです、まだなんです。

今回は、妻と子どもを現地から日本へ送るため、同行してきました。
結論からいうと、家族3人のモザンビーク生活は、一旦中止します

5月下旬から9月下旬まで、約4ヶ月間、モザンビークのナンプラ州で家族3人、生活してきた。

当初の家は、南アフリカの呪術師が住んでいた家。
もう写真を載せてもいいと判断したので、載せます。


引っ越す前の状態

【リビング】スペースは意外とあるから、リフォームすればなんとかなると思っていた

この家の名物、鉄の扉。中から錠をかければ、寝室まで泥棒が到達するのは難しい。

リフォームしたら、ある程度住める環境にはなった(少なくとも僕にとっては)。


この家の一番ネックな部分は、

リビングが鉄格子で囲われているだけなので、ネズミの侵入が防げない
ことだった。

それでも、リビングだけの登場であれば、まだ良かった。
が、彼らは寝室にもやってきた。

ある夜、僕が隣人のインド人の家で、親交を深めようと酒宴を開いた時、
妻から電話が来た。

「ネズミが寝室に来て、蚊帳の中に入ってきた。」

・・・その夜から、妻と子どもは知人の家へ避難した。

一人残った僕は、
さて、どこに引っ越せばいいんだ?と考え始めた。
その夜、インド人と割り勘で買って飲もうとしたウイスキーの味を、僕はまだ知らない。


次に引っ越した所は、市内にある普通のアパートだった。

この家はよかった。
夜は警備員が常駐しているし(いつも寝てるが)、近くの建物が警察関係の建物なので、治安の比較的いいエリアだ。


2LDKのアパート。家賃は約3万円

が、ここでも問題が発生した。


ダニ、だ。

わかる人にはわかってもらえると思う。
ダニは恐ろしい存在ですよ。

僕もボランティア時代、ダニ刺されでかなり苦しんだ経験がある。
首絞め強盗、車両泥棒などを圧倒的な勢いで差し置いて、
モザンビーク苦しかったことランクTOP3』に食い込んでいる。

モザンビークでは、ファブリーズのような素敵な物がないため、ダニ予防が難しい。
(バイゴンという、これで自殺する人がいるくらい強力な殺虫剤があるが、子どもがいたので使わなかった)

マットレスを、日干ししたり、アイロンかけたり、ビニールシートでグルグル巻きにしたりしたが、なかなか効果は出なかった。

ダニの一番の被害者は、妻だった。
かゆみの過ぎた今となってはいい思い出、と言っていたが、当時は毎日ダニに怯えて暮らしていた。

そうした問題に加え、医療問題や治安の悪化している現状に危機感を抱き
「妻と子どもは、一度日本に帰ったほうがいい」という結論になった。

医療問題、これは子どもが一度高熱になった時、真剣に考え始めた。

ここは私立病院でも頼りにならない。
つい最近も、日本人の方が誤診を受けていた。
州で一番まともと言われている私立病院で。

僕はそこに行くぐらいだったら、モリンガを大量に食べたほうがまだ治癒の可能性がある、と考えている。

子どもが熱を出した夜、
「ただの発熱じゃなかったら、どこへ連れていけばいいんだろう」
そう考えても、はっきりした答えが見つからず、少し思考停止した。

幸い、翌日熱が下がったのでよかった。が、それはただの運。
次の体調不良が、現地病院の対応できない病気である可能性は、十分考えられる。

治安の悪化している現状

とんでもなく悪い、というほどではない。
が、確実に治安は悪くなっている。
それについては、以前ブログで取り上げた。


日中は僕が仕事をしているので、妻と子ども2人で出かけることが多々あった。
数年前だったらそこまで気にしなかったと思うが、昨今の状況を考えると、日中も油断できない。

ひったくりとかに遭って、嫌な気分になってほしくない。

本心は、極力、家に居て欲しかった。でも、
「子どもを外に連れて行って、遊ばせてあげたい」
という妻の考えは、文句なしの真っ当な考えだったので、反対できなかった。

結果的に、息子は外でたくさんの現地人(大人、子ども問わず)に可愛がられ、
彼にとっても妻にとってもいい経験となった。

だけど、いつ犯罪に巻き込まれるかは、わからない。
僕が誰かに恨まれたら、妻と子どもに危害が加わるかもしれない。

妻子がいる時の僕は、いつも以上に対人関係に気を配っていた(と思う)。
家の前で物乞いされた時の断り方は、現地の日本人ボランティアに模範例として紹介したいぐらいだ。


以上のような理由から、妻と子どもの日本帰国、という運びとなった。

さて、このまま「今回は以上です。」と締めくくったら、
全くタイトルに沿っていない内容だ。
ということで、『勇気ある撤退』に関する説明は、次の記事でします。

それでは、また。

2016/09/03

Queimadas descontroladas(管理不十分の野焼き)

昨日モリンガ加工施設に行ったら、土地の周辺に植えていたモリンガの挿し木が、焼けていた。


暑さで焼けたわけではない。
これは、queimadas descontroladasと言って、野焼きが起こした問題だ。

モザンビークでは、野焼きが全国的な問題となっている。
夜、農村エリアを車で通ったりすると、火事か?と思えるほど勢い良く火が上がっていることがある。
(時々、本当に火事へ発展している)

野焼きは、一般的に、農地の開墾や土壌改良を目的として行われる。
面白いことに、モザンビークではそれに加え、ネズミを狩る方法にも使われている。
野焼き→ネズミが姿を現す or 焼ける→捕獲、ということだろう、たぶん。
ネズミは食用で、市場や農村地区に行った時、串刺しにして売っているのを見たことがある。
味は知らない。たとえ美味しくても、僕は一生食べないと思う。

野焼きに話を戻す。
モザンビークでは、毎年20万ヘクタールほどの土地が、野焼きにあっている。
問題なのは、個々人が好き勝手に野焼きをやっていること、そしてその野焼き範囲が全くコントロールされていないことだ。
管理不十分な野焼きによって、主に下記3点の問題が発生する。

1. 農地被害
既に植えられた作物がダメになる。
朝農地に行って栽培した作物が焼け焦げていたら、どう感じるだろうか。
昨年、モリンガ農地が被害にあった時、なんとも言えない怒りを抱いた記憶がある。

2. 環境汚染
大規模な野焼きは大気汚染に繋がったり、大量の二酸化炭素を発生させる。
インドネシアの野焼きは、マレーシアなどの近隣諸国へ深刻な煙害を引き起こしているようだ。

3. 生活・健康被害
野焼きは、薪や果樹など、農村生活に必要な物を燃やす可能性がある。
近場にあったそれらの物が焼けてなくなってしまったら、遠い別の場所に求めるしかない。
つまり、管理不十分の野焼きは、農村社会の生活をより貧しくさせている。

また、煙による健康被害も要注意だ。
野焼きによって何が燃えるのかにもよるが、例えばインドネシアのケースでは、地中に炭素を多く含む湿地『泥炭地』で野焼きが行われているため、人体に有害とされる二酸化硫黄、二酸化窒素、PM2.5などが発生している。

最後に、野焼きによって命が奪われるケースも、ゼロではないようだ。
それはもはや、重大な犯罪とみなすべきだと思う。

モザンビークでは、そうした野焼きを減少させるため、政府やNGOが農村で啓発活動を行っている。
ネットにあったレポートをチラッと読んだところ、村長やコミュニティリーダーといった村の中心人物への研修を行うことで、彼らから村人へ指導してもらう、といった内容の活動があった。
また、野焼きを事前申告制にし、村全体で野焼きをコントロールする仕組み作りも、検討しているようだ。
解決までの道のりは長そうだが、僕も自分の活動している農村でできること(啓発活動や、そうした活動をしているNGOの誘致など)をしたいと思う。

今回は以上です。


2016/08/25

国の行く先

こんにちは。

最近、ここモザンビークの経済状況が悪化している。
原因は2つ。

1. 与党と野党の紛争がいつまで経っても終わらない
  - むしろ悪化し、紛争エリアが拡大の傾向にある
2. 政府の隠し債務が発覚
  - 債務状況を説明しないかぎり、支援は一旦やめます、というドナー(支援国、団体)が発生

これらの問題により、今起きているのが、ドルの高騰と現地通貨安だ。
上記2つは、国の信用を失うに十分な問題なので、信用で成り立っている通貨は当然下落してしまう。

下落すると何が起きるか。
外貨建ての債務額が、自動的に増える。
35メティカル/ドルだった為替レートが、70メティカル/ドルになったらどうなるか。
ちなみに、今の銀行為替レートは、70を超えている。
昨年の同時期と比べると、現地通貨は半分ほど価値を失った。
デフォルトになるんじゃないか?という懸念が、僕にはある。

また、多くの物を輸入品に頼っている国なので、物価が上がる。
今、ほとんどの物価が上がっている。

さらに、経済が悪化すると、連動して治安も悪くなる。
以前は全く聞かなかった犯罪を、最近よく耳にする。
バイク2人組によるひったくりは、僕の滞在地でよくある犯罪の一つとなった。
他にも、僕の滞在地ではほとんど聞かないが、首都と中部のベイラ州では、誘拐事件が多発している。

こうした状況だと、国外投資や観光客も減ってくる。
旧宗主国であり、今もモザンビークと関係の深いポルトガルを参考に考えてみよう。
なんと、2015年と比べ、モザンビークへの投資額が80%減っている(6,300万ユーロ→1,200万ユーロ)。

【参考記事↓】
http://noticias.sapo.cv/info/artigo/1481980.html

話は少し脱線するが、上記記事で興味深いことに、中国からのモザンビークに対する投資額は、国外投資額の6割を占めているらしい。
※2016年上半期の新規投資

投資額の大きいインフラ事業にドンドン乗り込んでいるんだろう。
彼らにとっては、他国の尻込みしている今がチャンスなのかもしれない。

いずれにせよ、僕にできることは、危険管理を適切に行い、ひっそり活動を進めることだ。という、強引なまとめ方で今回は終わりにします。

今回は以上です。

2016/06/17

家族DIRE(居住許可証)取得方法

こんにちは。

昨日、妻と子どものDIRE(居住許可証)の申請に成功した。
日本の民間人(政府系組織に属していない人)で、妻子のDIRE取得を行ったのは、おそらく自分が初だ。
ということで、誇りを持ってDIRE取得方法をここに記載しておく。
いつか、モザンビークに個人で事業を興す人が現れ、日本から妻子を呼ぶ際、これを読んでいただければ嬉しい。

家族DIRE取得方法〜



1.前提

・呼び寄せる人間が、DIREを所持していること
・家族が、3ヶ月以上滞在する意思のあること(短期間であれば、観光ビザで問題ない)

2. DIRE取得までの手続き


2.1. 日本(在日モザンビーク大使館)

・家族へDIREを与えるために、まずは日本のモザンビーク大使館で家族・居住ビザ(Visto de residencia)を申請する必要がある。
・必要な書類は下記の通り。今回は家族が取得する場合に的を絞り、説明を加えていく。
(1)パスポート
(2)申請書
(3)証明写真
(4)黄熱病のコピー
  →黄熱病の予防接種証明書(イエローカード)の提示が必要な国を経由してモザンビークへ到着する場合、カードの提示を空港で求められる。最近では、持っていないと空港で強制的に予防接種されるらしい
(5)無犯罪証明書
  住民登録のしている県の警視庁で、申請可能。詳細は下記HPを参照
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/tetsuzuki/toko/toko.html
  →この書類は、モザンビーク入国後、DIRE申請の際にも必要になる。なお、幼児は不要
(6)健康診断書
  →英語で診断書を作成してもらう必要あり。地方だと対応している場所がなく、苦労する
(7)モザンビーク国内における、住居費を含む生活費用を工面できるという証明
  →家族ビザには必要なし
(8)収入証明
  →家族ビザには必要なし
(9)モザンビークに居住(就労)している世帯主からの身元保証書
  →身元保証者が、「この人は私の○○で、モザンビーク滞在中は私が責任を持って面倒みます」という旨を記載した書類。大使館HPにテンプレートがある
(10)身元保証者のパスポートとDIREとビザのコピー
(11)身元保証者の労働契約書と就労許可書や関係分野の省庁からの招聘状などのコピー
  →民間人の場合、招聘状は必要なし。労働契約書と就労許可証のコピーを準備

2.2. モザンビーク入国後(所轄の移民局)

無事家族を入国させた後は、いよいよDIRE申請にチャレンジだ。ビザの切れる30日以内に、下記書類を用意し、移民局へ提出すること。不測の事態に備え、早めの申請を心がけること。
(1)申請書
  →移民局で販売されてる(50mt)
(2)身元保証者の労働契約書と就労許可書のコピー
(3)身元保証者のDIREコピー
(4)身元保証書(Termo de responsabilidade)
  →身元保証者が、「この人は私の○○で、モザンビーク滞在中は私が責任を持って面倒みます」という旨を記載した書類。移民局に記入例があるので、それを参考に作成
(5)無犯罪証明書+翻訳証明書(英語→ポルトガル語)
  →無犯罪証明書をポルトガル語に訳す必要がある。翻訳は、公式に登録されている翻訳家(Tradutor oficial)にやってもらう。知人がいない場合は、移民局へ頼めば紹介してもらえる
(6)結婚証明書(夫、妻の場合)+翻訳証明書(日本語→ポルトガル語)
  →戸籍抄本か謄本でいい。日本で事前に取得しておく。翻訳は、通常であれば日本語〜英語〜ポルトガル語に訳す必要があると思う。僕の場合は、裏技を使ってなんとかした
(7)出生証明書(子どもの場合)+翻訳証明書(日本語→ポルトガル語)
  →結婚証明書と同様
(8)パスポートのコピー
  →顔写真が写っている部分と、ビザの部分をコピーして提出
(9)DIRE申請料
   →1人につき19,200mt(約4万円)。乳幼児でも同料金。手痛い出費と感じるのは僕だけではないだろう

上記書類を提出し、受付へ申請料を払えば、後は写真撮影を行って手続き終了。
個人的に、書類が受理され、「申請料を払ってください」と言われるとき、ガッツポーズしたくなるほど嬉しくなる。
DIREの提出書類にイチャモンをつけられるときのストレスは、モザンビーク生活でトップクラスに入る。これは、チャレンジした人にしかわからないだろう。

実は3年前、一度、妻のDIRE申請に失敗したことがある。
その時は結局、妻は通常ビザの最長滞在である3ヶ月間のみ滞在し、帰国した。
今回、3年ぶりに再チャレンジしたところ、予想よりはるかにスムーズに事が進んだ。
あぁ、それにしてもDIRE申請料は高い。

今回は以上です。

乾季になり、葉が減ってきたモリンガたち
次の雨季に向け、剪定を開始しよう
モリンガの花。ヨーロッパでは、サラダとして食されてるとか

2016/06/02

10日、1000日ぶりのモザンビーク

先週、日本からモザンビークへ戻って来た。
家族をモザンビークへ連れてくるための、10日程の日本滞在だった。

モザンビークに、家族3人で暮らし始めた。
子どもにとって初めての、妻にとって1,000日ぶりのモザンビークだ。

ここモザンビークの生活は、それほど楽ではない。
僕は長く住んでいるので、これが通常の生活、という感覚になっていた。
水が出なかったり、ネズミが侵入してくるのは、妻にとって結構なストレスのようだ。
慣れてもらうのが先か、限界が来て家を引っ越すのが先か、どっちだろうか。
(限界が来て、日本へ帰る、という選択もあるかもしれない)

今の住居は、家賃8,000mt(2万円弱)の1LDK。
過去に南アフリカの呪術師が住んでいた、いわくつきの物件だ(この事実は、入居後知った)。
場所はいい。市内の中心地で、駐車場スペースもある。
以前、隣人が10名以上のパキスタン人達だった。彼らはフレンドリーで人数もいたので、セキュリティの面で頼りにしていた。
今は引っ越してしまい、これから隣人はインド人になる。
一昨日会って話した結果、お互いのために警備員を雇おうという流れになった。
パキスタン人の子犬が盗まれたり、僕の家の外灯が盗まれたりと、ちらほら泥棒の存在を感じていたので、警備員を雇うことに同意した。

警備員の中には、家を守るどころか泥棒の侵入を斡旋する輩もいる。
そういう人を間違って雇うと、獅子身中の虫、という言葉を痛感する出来事が、起こりうる。
安全に気を配り、家族3人で楽しく過ごしていきたい。

今回は以上です。