2013/12/28

就労ビザ取得までの道のり

こんにちは。

今日はモザンビークで初めて、スムーズな行政手続きができた日だった。

長期滞在するには就労ビザ(通称DIRE)が必要なので、赴任した10月から申請のために動いていた。が、偽情報や入国管理局の混み具合に翻弄され、気づけば年末を迎えてしまった。

今日は必要な手続きを少しでも進めておこう、と思っていたが、トントン拍子で手続きが進み(それでも3時間以上かかった)、申請許可が下り、代金支払いや、指紋採取・写真撮影(Skypeで使うようなウェブカメラで)を終え、後は発行を待つのみというところまでいけた。

発行には1ヶ月ほどかかるが、そんなことは大した問題ではない。
先行きの見えない状況から解放され、嬉しくなり、久々にアシスタントのヌルディンにお昼ごはんをご馳走した。彼から一言もお礼の無かったことが少し気になったが、それも大した問題じゃない、と考えてみた。

今回は以上です。

2013/12/02

事業を作るということ(自分編)

こんにちは。

1ヶ月前から、自分の事業を立ち上げ始めました。失敗すると、もれなく一年後無職状態となります。

親も詳しく知らないこの状況、いい機会なので少しブログで触れたいと思います。少し長くなります。

去年の7月の話。
青年海外協力隊の2年間が終わり、日本に帰ってきた直後の時期。
友人の結婚式で山口県に行っていた時だと思う。1通のメールが届いた。

「モザンビークで働ける人を探している日本人がいるので、一度話だけでも聞いてはどうか」

協力隊時代に知り合った、JICA専門家の方からのメールだった。

当時の僕の考えは、『12月にモザンビークへ戻り、協力隊時代にいた場所で現地人と事業を興す』だったと記憶している。戻る前に結婚・結婚式を行う、と妻と決め、ご両親へ挨拶に行く日を調整していた気がする。

せっかくご紹介いただいたのだから、一度話だけでも伺ってみよう。そう思い、7月中旬に東京でその方とお会いした。

どのタイミングで採用が決定したかは覚えていないが、気づけば話は10月からのモザンビーク赴任、それまで英語を勉強しておくこと、といった話になっていた。8月に英会話教室のベルリッツへ通っていた覚えがある。

それから約一年、モザンビークで国際開発の世界に触れることとなった。
社会人一年目で右も左も分からない状態だったが、モザンビークを別の角度から見れた、充実した一年間だった。

そして、今年の8月にプロジェクト自体の契約が終わった。
ここで、初めて会った時に社長と交わした約束が出てくる。

『雇用契約は2年間。1年間はこれから会社で立ち上げるプロジェクトに入り、残りの1年間で自分の事業を立ち上げること。』

おそらくこの言葉が決定打となり、僕は今の会社に入った。
僕の当初の意志(モザンビークで事業を興す)を尊重した上の提案。その寛容さに惹かれ、お世話になることを決めた。

その約束通り、先月、自らの事業立ち上げが始まった。
自宅を事務所にし、現地スタッフを一人雇い、スタートした。
事業自体の話は、次のブログで書ければと思う。今は現地のパートナー企業と、試験的なプロジェクトを行っている。現実を見ながら夢を膨らませる行為は、非常に面白い。

冒頭に書いたように、失敗したら一年後無職になる可能性は、ある。
ただ、その部分については、個人的にそこまで悲観的に考えてはいない。

最近読んだ、ホリエモンこと堀江貴文さんの著書『ゼロ』。その中に『会社は潰れても人は潰れない』という章がある。

内容は、仮に自分の会社が倒産しても、自分という人間は潰れない。経営を通じて手に入れた知識・経験は、確実に「次」へと生かされる。というのものだ。

失敗は結果として起きうること。そこに目を向けるのではなく、事業家となることで得られるものを信頼し、挑戦してみる。少なくとも僕にとって、自分で事業を興すことで得られる(可能性のある)ものは非常に魅力的だ。まだ開始して1ヶ月ちょっとだが、自分でやってみて初めてわかることは多いな、と感じる。

長々と書いてしまいましたが、このような経緯で今があります。

最後に、どうでもいいことですが、最近読んだ本で個人的に面白かったものを掲載して終わりにします。

命もいらず名もいらず_(上)幕末篇/山本兼一


天佑なり 上 高橋是清・百年前の日本国債/幸田 真音

今回は以上です。