2017/04/23

注文車、消える

こんにちは。

昨年6月に注文した車が消えました』

今回はそんな内容の記事です。

1. 事のいきさつ

昨年4月、タクシーが盗まれました。

その記事中、
車が見つかったら(見つからなくても)、自家用車のHirux Surfを売却し、そのお金でタクシー車両+自家用車(VitzやFitのような、四駆でない車)を買う。
分裂の術、と勝手に名付けたこの手法、果たしてうまくいくのか。
と書きました。
この分裂の術を実現させようと、自家用車の買い替えを図ったこと。それが事の始まりでした。

箇条書きで今に至る事の経緯を説明すると、

1. 日本の中古車販売会社へ車を注文
2. いつまで経っても車が届かず
3. 半年経っても届かないため、前払金の返却をA本社へ要求
4. 現地事務所代表(モザンビーク人)の横領が発覚し、裁判沙汰になっていることが判明
5. 車は、タンザニア〜モザンビークの国境に取り残されてることが判明

という流れです。

2. ギブミー前払金

現地代表の横領の事実を知るまで、僕はとにかく『前払金の返却』をA本社へ要求していました。

通常、同業他社に頼めば1〜2ヶ月で手元に届くのに、半年以上経っても来ないのは異常ですよね。
車を欲していたタイミングからもズレて、「今さら到着しても逆に困るな・・」という状況になっていました。 

しかしながら、その『前払金の返却要求、ことごとく断られました。
はっきりとした言い分はなく、とにかく「返却は困難です」の一点張り。

こうなったら勉強の意味も兼ねて、裁判沙汰にしてみるか。
そう思い始めていた時に、A社から「現地代表とトラブルになっている」と聞き、横領事件が起こっていることを知りました。

3. 共通の敵がいれば、味方になれるのでは?

昨年12月にA社スタッフが現地を視察した際、現地代表の横領が発覚。
今は弁護士を雇い、訴訟手続きを進めているようです。

この現状を踏まえ、考えました。

自分はどういう立場を表明したらいいか?
についてを。

思いついたのは、以下の2案です。

【案1】そっちの事情は知ったことじゃない、いいから前払金を返却しろ。さもないと裁判沙汰にするぞ。
 → アグレッシブなのは評価できるが、モザンビークの裁判がいかに時間のかかるものか知っているので、得策ではない気がする。

【案2】遠い日本からだと問題の解決は難しいですよね。お力になりましょうか?
 → 相手に歩み寄った姿勢がGood。仕事が発生するので、長期的に考えたらこのほうがプラスな気がする。

結論として、僕は【案2】を採用しました。

別に僕のサポートを必要としてないかもしれない、でも『駄目で元々』だ。とりあえず提案だけしてみよう。そう考えました。
(ここでようやく、前回記事:駄目で元々音頭と内容が繋がりました・・)

さっそく連絡してみたところ、「ぜひ協力してほしい」との返答がありました。
それがつい数日前の話です。


・共通の敵(本ケースでは、現地代表)がいるなら、味方になったほうがいい


これは、豊臣秀吉亡き後、徳川家康がとった戦略と似ている。
石田三成憎し、の一念が有力大名(福島正則ら七将)を家康の味方にしていたので、家康はギリギリまで(天下を決める合戦が起こるまで)三成を生かした。
※ 隆慶一郎さんの説の受け売りです

業務内容等のすり合わせはこれからですが、個人的にはいい経験を得れそうで今から楽しみです。

国境に放置されている車、早く迎えに行かなければ。


今回は以上です。


□最近読んだ本

モザンビーク出身と言われている、アフリカ初の侍『弥助』に関する本を読みました。
著者の仮説では、弥助はモザンビーク出身ではなく、エチオピア出身・・・。

僕はモザンビーク出身説を支持します。




2017/04/21

駄目で元々音頭

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こんにちは、久しぶりの投稿です。

昨年投稿した頃と比べ、モザンビーク国内はだいぶ状況が変わりました。

まず、国がデフォルト(債務不履行)に陥りました。
隠していた借金が次々と見つかり、「借金返せません」と言い放ったのが今年1月。

これまでの所、心配したほどの大きな変化はありませんが


・政府の経費削減(公務員のボーナスや出張費カットなど)
  → 行政に発行してもらう証明書が、カラーから白黒に変更したり。
・ガソリン・小麦輸入の補助金廃止
  → パン代や公共バスの運賃が値上がりしていきます。
・銀行の破産
  → 昨年破産したNosso Banco、預金者あたり20,000 MT(約3万円)しか返却しないといってたけどその後どうなったんだろう・・。

など、じわじわ嫌な動きが出てきてます。


反対に嬉しいニュースとしては、与野党の紛争が収束に向かっていることが挙げられます。


年末年始の一時的な停戦がきっかけとなり、良い意味でズルズルと(根本的な問題は解決してない)今に至るまで停戦が続いています。

協力隊を育てる会からの助成金


僕個人の動きとしては、現在、『一般社団法人 協力隊を育てる会』の助成金プログラムの一環で、モリンガと農村女性を絡めた活動を進めています。

www.sojocv.or.jp

とっくの昔に協力隊じゃないだろ、と指摘を受けるかもしれませんが、今回承認いただいた助成金はOB・OG向けのものなので、ちゃんと対象者の一員です。

プロジェクトの目的は、農村地域に小さなモリンガ加工施設を建設し、女性に仕事を提供することです。

ということで、今、建設作業を進めています。
予算を切り詰めるため、大工は個人を直接雇用、建築資材は自分たちで用意するという、ローカル式の方法をとっています。

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僕の車だと、セメント13袋(650kg)が限度です。パンクが恐い

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これでセメントブロックを作ります

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自家製ブロック作成中

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先日行った、農村女性を対象としたモリンガ研修会。
かなり遠方から来てくれた女性もいました。


プロジェクトは6月末で終了予定です。
継続する活動を目指し、進めていきます。 

『駄目で元々』が心にしみる


駄目で元々。誰が作った言葉なのか知りませんが、最近この言葉に助けられています。

この頃少し卑屈になっていて、「これは難しいな」「断られるから、やめておこう」と思うことが多くなっていました。
当たり前ですが、そんな姿勢で過ごしていると上手くいきません。

次の記事で紹介する予定の『注文した車両が消えた』問題は、そんな状態の自分に喝を入れてくれました。

(車が消える系、シリーズ化するとは思いませんでした)
第一弾の、タクシーが消えた時の記事はこちらです。

yam-blo.blogspot.com

またトラブルを呼び込んでしまった・・。

まぁ、ウジウジしてても事態は変わらない。
ごちゃごちゃ考えるのをやめ、シンプルに『駄目で元々』とだけ考えて動くスタイルに切り替えました。

そのほうが物事が上手くいく、そんな気がします。

ちなみに、タイトルの「駄目で元々音頭」は、水前寺清子さんの歌です。

「駄目で元々」で調べたら出てきました。視聴してみたところ、45秒中30秒まで前奏だったので、サビはわからずじまいです。

次回日本へ帰った時、TSUTAYAで借りてみます。

『「アフリカ」で生きる。』という本に執筆しました


4月20日発売の本に、4ページだけ登場します。ゴーストライターは使用していません。



今回は以上です。

2016/11/14

サンタプロジェクト~モザンビークに花を届けよう~

1年半ぶりの登場、妻です。

前回の記事にあったように、私は約5ヶ月間のモザン滞在を経て、
今日本でこの記事を書いています。

モザンで過ごした日々を思い起こしてみると、
今日は水が出る?電気は付く?ねずみは?ダニは?蚊はいない?と
毎日身体をかきむしりながら、子供が事故に遭わないよう、病気にならないよう、
ただただ生きることに必死でした。

それでも毎朝またがんばろうと思わせてくれたのは、
モザンビークの人々のたくましく生きる姿でした。

朝息子と散歩に出かけると、
「おーい彼女~元気か~い?子供も元気か~い?」と
ビルの上から、工事現場から、あちこちから大きな声で呼ばれます。
その愉快な声を聞いていると、元気のない日でも
「とっても元気よ~」とにこにこしながら答えてしまいます。
「やぁ可愛いプリンセス~♪」なんて言われた時は大笑いしてしまいました。

毎日「バナナ買って~」と家までやってくる女の子のソーニャ(夢)ちゃんは、
「パパとママは私が小さい頃亡くなってしまったから兄弟はいないの、
今はもらわれた家でバナナ売りをさせられてるの」と話してくれました。
学校にも十分に通えない彼女は言葉も不十分でしたが、
いつも満面の笑みで息子と遊んでくれました。

そして、どんなに心が折れそうになった時でも私にパワーをくれたのは、
モザンビークの母親たちの姿でした。
布一枚で前と後ろに子供を抱え、
さらに売り物を頭の上に乗せ、猛暑の中どこまでも歩き続ける芯の強さ。

彼女たちから感じるのは必死さではなく、本気で今を楽しむ力
本気で今を生きる力でした。
将来の不安、怒り、憎しみなどを感じさせず、
今の幸せを大切にしている彼女たちは、女性らしい魅力あふれる
輝きを放っていました。

前置きが長くなってしまいましたが、今回の滞在では、毎年日本の中学生が
送ってくれている文房具の寄贈に立ち会うことができたので紹介します

日本の子供たちがサンタプロジェクトと題して、使わなくなった文房具や
学校で作ったぬり絵を送ってくれました。

中学校から「今年も送り切れないほどたくさんの文房具が集まりました!」
という報告を聞き、日本の子供たちが現地の子供たちを思い浮かべ、選んだり、作ってくれた時間が嬉しく、その想いを届けるサンタ役になれて幸せな気持ちでいっぱいです。

今回は、6校の孤児院と識字センターへの寄贈が実現しました。

識字センターとは、何らかの事情により(内戦の影響や、貧困など
初等教育を受けられなかった人を対象に読み書きを教えている所で
机、椅子、トイレのない、青空教室のような場所で授業が行われていました。


識字センターにて

孤児院でのぬり絵の授業では、現地の子が日本のみんなに「ありがとう」と
日本語で一生懸命お礼の言葉を書いてくれました。

ぬり絵の授業
私はピアノでクラシックや
日本歌曲、中学校の校歌を演奏し紹介しました。

日本の歌を紹介

子供たちは、文房具のお礼に現地のダンスやソーラン節を披露してくれました。

文房具を見た瞬間、夢中で色を塗っている瞬間、ダンスを思いっきり楽しんでいる瞬間。
この国を選び、この国に生まれてきた子供たちは、どんな瞬間でも自分の花を咲かせることに全力で取り組んでいました

そんな子供たちと過ごせた時間は、あたたかく、優しさに満ちたものでした。

ぬり絵を夢中でする子どもたち

ソーラン節を披露してくれた子どもたち

私はこの5ヶ月のモザンビーク生活を、ちょっと早いクリスマスプレゼントをもらったように
感じています。
日々のありがとうの言葉や感謝の気持ち、小さな発見や喜び、そして、
痛みや痒みのない体でいられること、この世に生まれ生きていること。
そんな大切なプレゼントに気付くことができました。

憧れのサンタさんは、遠い、特別な存在ではなく、
一番身近に、一番自分の近くにいるのかもしれませんね。

今回は以上です。

2016/10/13

勇気ある撤退(2)

こんにちは。

前回の記事、僕の書き方が悪かったためか、
「え?モザンビーク撤退するの?」
とのコメントが友人からありました。

変なタイトルをつけたせいで、誤解を招いたようです。
ようし、今回は、タイトルに即した内容にするぞ。


前回の記事では、
モザンビークでの家族生活を中止し、妻子は日本へ戻る
という出来事の理由を書きました。

今回は、
この決断は、家族のあり方を発展させるための、前向きな決断
なんですよ〜ということを、書きます。

事実だけ取り上げて書くと、ネガティブな意味合いに映りますね。
でも、自信を持って言えます。今回の判断はグッド(ポルトガル語だと、ボン、ですね)でした。

まず、この判断が、
「モザンビークに家族3人で暮らした」経験の上でされたこと
がよかった。

経験してみてわかったこと、たくさんあります。
例えば下記のようなことが。

アジア人の子どもに対しても、現地人の対応が温かい
   → よく、お店の人から飴とかもらってました

妻と子どもだけで歩くと、警察は一切絡んでこない
   → 僕が一緒の時は、絡まれます

息子はモザンビークでも、元気に育つ
   → 滞在後半から、公園でも物怖じせず、自分から現地の子と遊ぶようになりました


前回マイナスのことばかり書いてしまいましたが、
プラスの要素もたくさんありました、今回のモザンビーク生活は。

いい・悪い両方を経験し、それについて夫婦間で意見を交わす中、
これから家族をどういう形にもっていくか、ということを考えました。

僕が学生時代お世話になった団体の代表の方も、カンボジア駐在なので、家族と離れて暮らしていました。
今、新しい家族生活のあり方にチャレンジ中のようです。

青木家第四章のチャレンジ - 七夕婚から週末婚へ

今はタイのバンコクに家族がいて、週末にカンボジアから通う生活とのこと。
真剣に家族と事業の両立を考え、行動に移している姿、見習っていきます。


そう、つまり

家族の形はそれぞれなんだから、自分たちに合った形を模索しよう
ってことです。

僕らのケースだと、通常
・夫(僕)も日本へ戻り、家族3人、日本で暮らす
・妻が夫を見限り、三行半(表現が古いか)

のコースをとるかもしれません。
でもそれは、「よく聞く」コースなだけで、自分たちにとって正解かは不明です。

夫が将来的に日本にも拠点を置き、モザンビークと日本を半々で過ごす。妻と子どもは普段日本で暮らし、休みなどを利用してモザンビークへ遊びに来る

どうでしょう、このコースは。
現状から考えると、あまり、というか全然現実味のない道です。

僕らはそこを目指してみます。
しばらく離れて暮らしますが、上記の状態を作り上げることを目標に、動き始めました。

なので、今回の
「妻子はモザンビークを去り、日本でしばらく暮らす」
というのは、家族のあり方を模索するための、ポジティブな決断です。

そう、撤退は撤退でも、次を見据えた動きなので、
今回タイトルを「勇気ある撤退」という表現にしました。
もっと上手くまとめてタイトル説明に持って行きたかったのですが、この程度が僕の文才です。

まだまだこれからの僕たちですが、前を見ることだけは忘れず、進んでいきます。

今回は以上です。


息子の2歳の誕生日に行った、モザンビーク島。また一緒に来れる日を、父は待つ






2016/10/12

勇気ある撤退(1)

こんにちは。

久しぶりの投稿です。

実は今、日本に帰ってきています。

「あ、モザンビークから撤退したんだな。」
と思われる可能性もありますが、まだです、まだなんです。

今回は、妻と子どもを現地から日本へ送るため、同行してきました。
結論からいうと、家族3人のモザンビーク生活は、一旦中止します

5月下旬から9月下旬まで、約4ヶ月間、モザンビークのナンプラ州で家族3人、生活してきた。

当初の家は、南アフリカの呪術師が住んでいた家。
もう写真を載せてもいいと判断したので、載せます。


引っ越す前の状態

【リビング】スペースは意外とあるから、リフォームすればなんとかなると思っていた

この家の名物、鉄の扉。中から錠をかければ、寝室まで泥棒が到達するのは難しい。

リフォームしたら、ある程度住める環境にはなった(少なくとも僕にとっては)。


この家の一番ネックな部分は、

リビングが鉄格子で囲われているだけなので、ネズミの侵入が防げない
ことだった。

それでも、リビングだけの登場であれば、まだ良かった。
が、彼らは寝室にもやってきた。

ある夜、僕が隣人のインド人の家で、親交を深めようと酒宴を開いた時、
妻から電話が来た。

「ネズミが寝室に来て、蚊帳の中に入ってきた。」

・・・その夜から、妻と子どもは知人の家へ避難した。

一人残った僕は、
さて、どこに引っ越せばいいんだ?と考え始めた。
その夜、インド人と割り勘で買って飲もうとしたウイスキーの味を、僕はまだ知らない。


次に引っ越した所は、市内にある普通のアパートだった。

この家はよかった。
夜は警備員が常駐しているし(いつも寝てるが)、近くの建物が警察関係の建物なので、治安の比較的いいエリアだ。


2LDKのアパート。家賃は約3万円

が、ここでも問題が発生した。


ダニ、だ。

わかる人にはわかってもらえると思う。
ダニは恐ろしい存在ですよ。

僕もボランティア時代、ダニ刺されでかなり苦しんだ経験がある。
首絞め強盗、車両泥棒などを圧倒的な勢いで差し置いて、
モザンビーク苦しかったことランクTOP3』に食い込んでいる。

モザンビークでは、ファブリーズのような素敵な物がないため、ダニ予防が難しい。
(バイゴンという、これで自殺する人がいるくらい強力な殺虫剤があるが、子どもがいたので使わなかった)

マットレスを、日干ししたり、アイロンかけたり、ビニールシートでグルグル巻きにしたりしたが、なかなか効果は出なかった。

ダニの一番の被害者は、妻だった。
かゆみの過ぎた今となってはいい思い出、と言っていたが、当時は毎日ダニに怯えて暮らしていた。

そうした問題に加え、医療問題や治安の悪化している現状に危機感を抱き
「妻と子どもは、一度日本に帰ったほうがいい」という結論になった。

医療問題、これは子どもが一度高熱になった時、真剣に考え始めた。

ここは私立病院でも頼りにならない。
つい最近も、日本人の方が誤診を受けていた。
州で一番まともと言われている私立病院で。

僕はそこに行くぐらいだったら、モリンガを大量に食べたほうがまだ治癒の可能性がある、と考えている。

子どもが熱を出した夜、
「ただの発熱じゃなかったら、どこへ連れていけばいいんだろう」
そう考えても、はっきりした答えが見つからず、少し思考停止した。

幸い、翌日熱が下がったのでよかった。が、それはただの運。
次の体調不良が、現地病院の対応できない病気である可能性は、十分考えられる。

治安の悪化している現状

とんでもなく悪い、というほどではない。
が、確実に治安は悪くなっている。
それについては、以前ブログで取り上げた。


日中は僕が仕事をしているので、妻と子ども2人で出かけることが多々あった。
数年前だったらそこまで気にしなかったと思うが、昨今の状況を考えると、日中も油断できない。

ひったくりとかに遭って、嫌な気分になってほしくない。

本心は、極力、家に居て欲しかった。でも、
「子どもを外に連れて行って、遊ばせてあげたい」
という妻の考えは、文句なしの真っ当な考えだったので、反対できなかった。

結果的に、息子は外でたくさんの現地人(大人、子ども問わず)に可愛がられ、
彼にとっても妻にとってもいい経験となった。

だけど、いつ犯罪に巻き込まれるかは、わからない。
僕が誰かに恨まれたら、妻と子どもに危害が加わるかもしれない。

妻子がいる時の僕は、いつも以上に対人関係に気を配っていた(と思う)。
家の前で物乞いされた時の断り方は、現地の日本人ボランティアに模範例として紹介したいぐらいだ。


以上のような理由から、妻と子どもの日本帰国、という運びとなった。

さて、このまま「今回は以上です。」と締めくくったら、
全くタイトルに沿っていない内容だ。
ということで、『勇気ある撤退』に関する説明は、次の記事でします。

それでは、また。